凸凹こそが美しい

~自分が変わる。人生が変わる。~

 

みなさま、こんにちは!

あすか個別指導学院です。

 

本日は、「顔」という詩をもとに勝手ながら考察だったり、考えをお伝えできればと思います。

早速、詩から紹介させていただきます。

 

「顔」松下育男

 

こいびとの顔を見た

ひふがあって
裂けたり
でっぱったりで
にんげんとしては美しいが
いきものとしてはきもちわるい

こいびとの顔を見た
これと
結婚する

帰り
すれ違う人たちの顔を
つぎつぎ見た

どれもひふがあって
みんなきちんと裂けたり
でっぱったりで

これらと
世の中 やってゆく

帰って
泣いた

 

 

かなり尖った詩ですよね。

勝手に僕自身の考えを連なると、

この主人公は完璧と言われるものではなくて、裂けたりでっぱったり、凸凹したことやものが美しいとされる世の中に、

どう自分自身が在れば良いのか正解が分からず絶望してしまったのかな。と感じました。

 

一般的に完璧とは、一つも欠点がなく、完全なこととあります。

ですが、人の顔もそうだし、中身の部分に関しても、

人は凸凹しており、かつそれが美しいとされています。

 

これは一般的な完璧とは乖離しておりますが、逆にその不完全さこそ人であり、美しいとも思っています。

 

完璧な人などどこにもおらず、

みんなが凸凹しており、みんなが不完全だからこそ、逆に自分自身のことも受け入れることが出来るのだと思います。

もしこの世に完璧がちゃんと存在している場合、そこに達していない人はみんな傷つくし、

例えばすべての事に点数があって、それで全てが決まってしまう世の中があった場合、辛さが先行すると思います。

 

点数や正解などがなく、不完全な世の中だからこそ、それぞれがそれぞれを「受け入れ」、幸せというものを感じ取れると思います。

 

だからこそ、凸凹こそが美しい。

 

一見すると暗めの詩ではありますが、深く考察?すると個人的にはプラスの考えに変わっていきました。

 

こういった詩や物語から色々と思考するのはシンプルに楽しいし、国語力にも繋がっていくと思います。

みなさまも是非この詩であったり、色々な物語から思考していただけると嬉しいです!

 

 

それでは、今日はこの辺りで☆