生徒と「努力」について話していて、この話を思い出し。

あるHPからのコピーです。
内容は少し理屈ぽいですが、正直賛否両論あると思うのですが。
生徒と話していて、思い出したためこちあらにも転記します。
かなり長いですが、最後までどうぞ。
Y: 「努力は必ず報われる」
M: 王監督の名言ね。
Y: 普通たかみなが出てくるよね。
M: あんた、こういうの嫌いでしょ。
Y: 「努力」という言葉は、そもそも人によって捉え方が違うので、会話がうまく成り立たないことが多い。
M: どういうこと?
Y: 目標を達成するための何らかの行動を努力という人もいるし、根性でとにかく頑張ることを努力という人もいる。我慢を努力という人もいれば、苦労を努力という人もいる。
M: どれが正解なの?
Y: 国語辞典では「ある目的のために力を尽くして励むこと」とある。
M: まあ、そんな感じよね。
Y: でも、それだと努力は必ず報われるとは言えないよね。
M: それはみんな分かっててその言葉を使ってるんじゃないの?
Y: 努力過激派の意見はこうです。努力して報われないのであればそれは努力と呼ぶに値しない、とか、努力は報われないかもしれないけど努力をしなければ成功はない、とか。
M: 努力無しで成功したら、殺されそうな勢いね。
Y: これはものすごく乱暴な意見です。理屈が通っていないし、納得できない人も実は多いと思う。
M: じゃあ、やっぱり努力は必ず報われるというのは、間違っているということ?
Y: 努力の考え方を少し変えれば納得できるようになる。
M: 国語辞典無視?
Y: 「努力」は成功の過程においての行動、と考えると丸く収まる。
M: どういうこと?
Y: 何か成功した時に、それまでやったことを努力と呼ぶことにするのです。つまり結果が出てから初めて努力と呼べる。
M: 失敗した時に、それまでやったことは努力とは呼べないの?
Y: それは徒労ですね。
M: でも、失敗した時にも経験になるから、それは決して無駄ないし、それを努力の積み重ねと言う人もいるよ。
Y: だったらその経験とやらで成功をすればいい。そして成功した時に、思う存分「努力は裏切らない」と言えばいいのです。
M: その理屈だと、確かに「努力は必ず報われる」というのは正解だよね。
Y: 報われてから初めて努力と呼べるので当然ですね。
M: 成功した時に「努力」、失敗した特に「徒労」と呼ぶなら、目的のために行動をしているのだけど、まだ成功や失敗の結果が出ていない状態の行動を何と呼ぶの?
Y: 一般的には、それこそを努力と呼びたいのでしょうけど、ここではそれを「ギャンブル」と呼ぶことにします。
M: それはなんか違う気がするんだけど。
Y: 違わないですよ。成功するか失敗するかわからんものにコストをかけるのは、ギャンブルでしかないです。
M: 今まで努力と呼んでいたものをギャンブルだなんて言われたら、怒る人がいるよ。
Y: 「ギャンブルは必ず報われる」
M: うわー、絶対報われないと思う。
Y: 言葉をちょっと変えるだけで、えらい言われようですね。言っていることは変わらないのに。
M: 努力過激派の意見をギャンブルに変えてみると、大変なことになるよ。
Y: 「ギャンブルは報われないかもしれないけどギャンブルをしなければ成功はない」
M: ギャンブルジャンキーになってる。
Y: 「ギャンブルをして報われないのであればそれはギャンブルと呼ぶに値しない」
M: カイジですら、そんなやばいこと言わないよ。
Y: 努力過激派が、いかにおかしいことを言っているか、お気づきでしょうか。
M: あんたの発想がおかしいのよ。
Y: とは言え、ギャンブルだって悪いことではないのですよ。ギャンブルであるのならば、期待値を計算し、リスクとリターンを考え、実行するかしないかを判断するだけ。
M: 難しいよ。
Y: もっと具体的に言うと、目的があってそのために行動しようとする。その行動について成功率が高く、失敗時のダメージも少ないなら実行すればいい。
M: 失敗時のダメージって何?
Y: 主に時間のロストだよね。もし失敗してしまったら他のことができたわけですから。あとは失敗時にストレスを抱えるようなこともダメージになる。
M: なんか「失敗しても気にするな」とか怖くて言えなくなるんだけど。
Y: 失敗は失敗です。でかい失敗は、やっぱり取り返しがつかない。「失敗を恐れずに」なんて他人事だから言える。その人にとって失敗がどういう影響を与えるかなんて誰にも分からないんだから、気軽に言うべき言葉ではないね。
M: それだと、大きな目標は成功率が低くなるから、実行できなくなるよね。
Y: 前にも行ったけど、大きな目標は、小さな目標に細かく分割した方がいい。できれば1日単位くらいまでに分割。
M: 具体的には?
Y: その目標に向かって、今日から自分が行動したとして、毎日をどう過ごせば実現できるのかよく考える。もし考えつかないのなら、その目標はいったん諦めましょう。
M: あっさりだね。
Y: 逆に、こう過ごせば実現できそうだという目標であるのならば、あとはそれを日々の目標に細かく分割。大事なのは毎日目標を達成すること。
M: どうして1日単位で目標を立てるの?
Y: 昔から言われてるじゃないですか。成功するには努力の積み重ねが大事だと。努力の積み重ねは、さっきの話だと成功の積み重ねです。何より成功の積み重ねがモチベーションアップにつながることは前に説明しました。
M: 実現方法が分からないと、大きな目標は諦めざるをえないの?
Y: どう実現するのかが見えていないと行動すらできない。実現方法にはいろいろな手段があるはずなのです。自分で分からないのであれば、誰かに相談したりするのはいいんじゃないでしょうか。
M: あんたにだけは相談したくはないよね。
Y: 僕の目標は、何度も言っている通り、優雅に引きこもることです。そして今のところ、それがどうやったら実現できるのか分からないです。誰に相談しても話すら聞いてくれません。
M: 実現できるのかどうか分からない場合、日々をどうやって過ごしたらいいんだろう。
Y: そこで止まってしまうのがポジティブ人間のダメなところですね。
M: ネガティブだったら解決するの?
Y: ネカティブな方が圧倒的に目標に対する成功率が高い。
M: どういうことよ。
Y: ネガティブな人間はあきらめが早く、自然と目標を「幸福になること」から「不幸にならないこと」にシフトする。
M: ポジティブな人間は幸せになろうとするけれど、ネガティブな人間は不幸せにならないようにするということ?
Y: こうなりたい、というのはなかなか実現方法が思い浮かばないけど、こうはなりたくない、というのはイメージしやすいし、現実的な目標も立てやすく、成功もできる。
M: それって成功って言えるの?
Y: 我々の業界では成功のカテゴリに入るのですよ。一日何事もなく無事に終えることだけでとりあえず満足してしまう。
M: そういうのを家畜の安寧、虚偽の繁栄というんじゃないの?
Y: 確かに、社畜で安寧して、虚偽を反映しまくってる。
M: どこが一日何事もなく無事に終わってるのよ。
Y: 究極的には、目標がなくなり、生きているだけで満足することもあり得るかもしれない。
M: 解脱しゃちゃってるじゃない。
Y: 自分の目標がないって、欲望がないってことだよね。実は素晴らしいことなんじゃないでしょうか。
M: 絶対違うと思うよ。
Y: そう考えると、努力というのは、その人のギャンブル成功談であり、もはや単なるエゴの実現だよね。
M: 努力をそこまで貶めて語った人間はなかなかいないと思うよ。
Y: 努力することがそんなに崇高なことではないということですよ。もちろん貶めるようなものでもない。その人がやりたくてやっただけ、ただそれだけのこと。
M: やりたくないことを頑張っている人だっているんじゃないの?
Y: やりたくないことを頑張るということは、何か理由があるんだよね?理由があるということはやりたいことなんですよ。
M: 死にたくないから働くとか、そんな理由であっても?
Y: そうです。世の中不平等だから選択肢の多い少ないはあるけど、結局みんな手札の中でやりたいことをやってるだけなんですよ。
M: うーん、じゃあ、夏休みの宿題を終わらせたA君と、遊び呆けていたB君の崇高さは変わらないということ?
Y: 変わらないですね。A君は宿題をやりたくてやったのです。その理由が「怒られたくないから」とかであってもです。A君がビビりなだけだという説まである。
M: その理屈だと、この世に崇高な人というのはいないことになるよね。
Y: 「ありのままで」って言葉が蔓延してるじゃないですか。
M: うん。
Y: あの言葉はすごくいいですね。大好きです。
M: あんたが何かを賞賛する時は、同意しない方がいいよね。
Y: みんなやりたいことをやっているわけだから、基本的に全ての人が「ありのままで」生きているということになる。
M: 我慢しているのにありのままなの?
Y: それはたぶん、我慢することの方がその人にとって楽なんだよ。
M: 「ありのままで」ってそういう歌じゃないよね?
Y: アナ雪見てないから分からないけど、たぶん、映画ではありのままではないと思うよ。だって「ありのままで」って成長しないってことだもの。そんな映画は私くらいしか喜ばない。
M: そう言われてしまうと、誤訳に思えてしまうね。
Y: まあ本質なんてどうでもいいんですよ。ありのままという言葉が独り歩きすることが重要。これにより「自分は変わらなくていい」という空気になってくれるとありがたい。
M: 映画を見れば、本当の自分に変わるってことが「ありのまま」ってことだと分かるんだけどね。
Y: 「努力は必ず報われる」と最初に言ったのは?
M: 王貞治だよね。
Y: そんな長年自己変革が正しいとされる代表的な言葉に対し、「ありのままで」という言葉はアンチテーゼとなり得るかもしれない。
M: つまり、王シフトだね。
Y: そういう昭和のカビ臭い発想からは、自己変革すべきだと思います。
色々な考えがあります。
上記の内容がすべて正しいとは、思いません。
また、理屈で考えても仕方ないですが。
みんな、頭でっかちになっていませんか?
もっとシンプルに簡単に考えると楽ですよね。